世界中の人々を魅了し続けるカルティエは、「王の宝石商、宝石商の王」と称される名門ジュエリーブランドです。
その歴史は1847年の創業から170年以上にわたり、数々の革新と芸術性に満ちています。
なぜカルティエは、時代を越えて一流として愛され続けてきたのか。
今回は、創業期からメゾンが世界的ブランドへと成長するまでの歩みを、時代ごとにわかりやすく丁寧に解説いたします!
名作コレクション誕生の背景や、各時代を象徴するエピソードも交えながら、カルティエの魅力を深く理解できる“完全版”としてお届けします。

トリニティリングや1895など結婚指輪、婚約指輪でも人気の高いカルティエ。タンクやパンテール、サントスといった時計も有名ですよね。
日本でも芸能人もはじめ、愛用者も多く、二次流通でも相場が落ちないブランドでもあり、ネックレスやリング、ブレスレットは憧れのアイテムでもあります。
そんなカルティエの歴史を今回深掘りしていきたいと思います!
カルティエはどんな歴史を持っているか。ぜひ最後までお楽しみください!
カルティエの歴史概要|「宝石商の王」と称される名門ブランド
カルティエは「王の宝石商、宝石商の王」と称されるほど、長い歴史の中で特別な地位を築いてきた名門ブランドです。
1847年の創業から170年以上にわたり、王室文化の発展、ジュエリーデザインの革新、時計製造技術の進化に深く関わり、常に時代をリードしてきました。
その存在は単なる高級ジュエリーブランドにとどまらず、アートやファッションの潮流にも大きな影響を与えています。
初めにカルティエがどのようにして世界屈指の名門ブランドへと成長したのか、その歩みを理解するための全体像を紹介します。
カルティエとは?ブランドの基本情報

「カルティエ(Cartier)」は、1847年にフランス・パリで創業された世界最高峰の高級ジュエリー・時計ブランドです。創業者ルイ フランソワ・カルティエが師匠アドルフ・ピカールから譲り受けた小さなジュエリー工房からスタートし、のちにブルガリ、ティファニー、ヴァン クリーフ&アーペル、ハリーウィンストンと並び世界5大ジュエラーの一つとして確固たる地位を確立しました。
1904年には、イギリス国王エドワード7世から「王の宝石商、宝石商の王(Jeweller of kings, king of jewellers)」という最高の賛辞を贈られ、さらに世界15ヵ国以上の王室御用達に認定されるなど、その名声はヨーロッパ中に広まりました。
ジュエリーだけでなく、時計製造でも歴史的な革新をもたらしています。1904年、友人である飛行家アルベルト・サントス デュモンの依頼を受け、世界初の実用的な腕時計とされる「サントス」を製作したことは、時計界に大きな転換点をもたらしました。
現在カルティエはスイスのリシュモングループに属し、本社は創業当時と同じくフランス・パリに構えています。伝統と革新を両立させながら、ジュエリー・時計・レザーグッズなど多彩な分野で世界を代表するラグジュアリーブランドとして活躍し続けています。
カルティエの歴史が重要な理由

カルティエの歴史を知ることは、単に一つの高級ブランドの成り立ちを学ぶだけではありません。カルティエの歩みは、近現代のジュエリー・時計産業そのものの発展と深く結びついており、同メゾンが生み出した数々の革新は現在のラグジュアリー業界の標準を築いてきました。
例えば、カルティエは1903年に世界で初めてプラチナをジュエリー素材として本格的に採用したブランドとして知られています。それまでのジュエリーは主にゴールドで製作されていましたが、プラチナを使うことで繊細で優美なデザインが可能となり、のちのガーランドスタイルの発展にも大きく貢献しました。
さらに1904年には、友人である飛行家アルベルト・サントス デュモンのために世界初の実用的な男性用腕時計「サントス」を製作しました。懐中時計が主流だった時代に腕時計という新たなカテゴリーを切り開いた点は、時計史において極めて重要な出来事です。
ジュエリーにおいても1895年に4本爪でダイヤモンドをセッティングする婚約指輪の原型を生み出すなど、現代のスタンダードとなる技法やスタイルを次々と発明してきました。
また、ベルエポック期にはガーランドスタイルを牽引し、1920年代にはアールデコムーブメントの中心として革新的なデザインを多数発表するなど、カルティエの美学はその時代を象徴する芸術潮流とも深く関わっています。
こうした背景を踏まえ、サントス、タンク、トリニティといった名作コレクションがどのような文化的・技術的文脈の中で誕生したかを理解することで、各アイテムが持つ物語や価値をより深く味わうことができます。

カルティエの歴史を知ることは、目の前のジュエリーや時計を見る視点を大きく変えてくれます。
同じモデルでも、どのような時代背景で生まれ、どの技術革新が採用されているのかを理解するだけで、その価値の感じ方は驚くほど豊かになります。
特にカルティエは、デザイン・技術・文化のすべてにおいて業界を牽引した存在です。
ブランドの背景を把握しておくことで、購入・査定・コレクションづくりの判断にも大いに役立つでしょう。
カルティエ買取サービス
カルティエの歴史
カルティエの歴史は、1847年のパリに誕生した小さな宝飾工房から始まりました。
カルティエは時代ごとに斬新な技術とデザインを生み出し、王室から芸術家まで多くの人々に愛され続けてきました。
ここでは、その壮大な歴史を各時代に分けて、ブランド成長の背景とともに紐解いていきます。
【創業期】1847年~1900年代:小さな工房から王室御用達へ
| 年代 | 出来事・重要な転換点 | 歴史的意義 |
|---|---|---|
| 1847年 | カルティエ創業 ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904)が28歳の時、パリ・モントルゲイユ街29番地で師匠アドルフ・ピカールのジュエリー工房を譲り受ける | 175年以上続く高級ジュエリーブランドの誕生。小さな宝石細工師の工房からスタート |
| 1853年 | パリ・ヌーブ・デ・プティ・シャン通りに移転し、本格的なジュエリーブティックを開店 台帳にメンズ懐中時計の記録が残る | カルティエの時計製作の歴史が始まる。ジュエラーから「ジュエラー兼時計メーカー」への第一歩 |
| 1856年 | ナポレオン3世のいとこ、マチルド皇女がカルティエのジュエリーを購入 | パリの上流社会にカルティエの名が広まる契機。王族・貴族の顧客が増加 |
| 1874年 | 創業者の息子アルフレッド・カルティエが事業に参加。父子で共同経営開始 | 国際展開を視野に入れた経営体制の確立 |
| 1895年 | 「ソリテール1895」誕生 ダイヤモンドを4本のプラチナの爪でセッティングする革新的なデザイン | 現代の婚約指輪の原型。130年経った現在も定番として愛される |
カルティエの歴史は、1847年、ルイ=フランソワ・カルティエが師匠アドルフ・ピカールのジュエリー工房を譲り受けたことからスタートしました。当時のパリはヨーロッパの文化と芸術の中心地として繁栄し、職人技術が重んじられる時代で、カルティエはその環境の中、宝飾技術の高さと美意識を武器に徐々に顧客層を拡大していきました。
大きな転機となったのが、ナポレオン3世の第二帝政下で活気づくパリで上流階級・貴族階級の顧客が急増したことです。カルティエは王室や貴族の好むエレガントで繊細なスタイルを見事に捉え、特に細工の精巧さと審美性が高い評価を得るようになりました。
1899年には、のちにカルティエの象徴的な本店となるヴァンドーム広場13番地にブティックを移転し、ブランドの飛躍的な成長が始まります。この時期にルイ=フランソワの息子アルフレッド、そしてその後継者となるルイ、ピエール、ジャックの「カルティエ3兄弟」が海外展開を積極的に進めたことで、パリの一工房だったカルティエは世界的名門へと歩みを進めていきました。
創業期は、カルティエが後に「王の宝石商、宝石商の王」と称される素地を築いた非常に重要な時代といえます。

カルティエの創業期を理解すると、このメゾンが単に流行を追うブランドではなく、初期から明確な美学と哲学を持っていたことがよくわかります。
特に、ヴァンドーム広場への移転や貴族階級との関係構築は、後の世界的成功の基盤そのものです。
現在のコレクションに見られる洗練されたラインや厳格な品質基準は、この創業期の精神を色濃く引き継いだものだといえます。
【黄金期】1900年~1930年代:世界初の腕時計と王室御用達の栄光
| 年代 | 出来事・重要な転換点 | 歴史的意義 |
|---|---|---|
| 1902年 | ロンドンに支店を開設 | 国際展開が本格化。ヨーロッパ全土で名声確立へ |
| 1903年 | 世界初のプラチナジュエリー使用 プラチナとダイヤモンドを組み合わせたガーランドスタイル(花綱模様)を製作 | ゴールド主流のジュエリー業界に革命。技術的・芸術的に最高峰のジュエラーとしての地位確立 |
| 1904年 | ①イギリス国王エドワード7世から王室御用達に認定 「王の宝石商、宝石商の王」の称号を受ける ②世界初の実用的男性用腕時計「サントス」製作 飛行家サントス=デュモンの依頼により開発 | カルティエ史上最も重要な年 王室御用達と腕時計革命の2つの歴史的転換点。1911年一般販売開始で腕時計文化の始まり |
| 1906年~1907年 | スペイン王アルフォンソ13世(1906年) ロシア皇帝ニコライ2世(1907年)の王室御用達に | 世界の王族がカルティエを愛用。国際的ブランドとしての地位確立 |
| 1909年 | ニューヨークに支店を開設 | アメリカ市場への本格進出。世界3大都市(パリ・ロンドン・ニューヨーク)に拠点 |
| 1912年 | ミステリークロック考案 時計の針が宙に浮いているように見える革新的な仕掛け時計 | カルティエの高度な技術力を世界に示す芸術作品 |
| 1917年 | 「タンク」誕生 第一次世界大戦の戦車(タンク)にインスパイア。レクタンギュラーケースの両サイドの縦枠がキャタピラーを表現 | 100年以上愛される名作時計の誕生。1919年一般発売。幾何学的で力強いアールデコデザインの代表作 |
| 1924年 | 「トリニティ」誕生 イエローゴールド(友情)、ホワイトゴールド(友愛)、ピンクゴールド(愛情)の3色リングが絡み合うデザイン | 詩人ジャン・コクトーが最初に着用。2024年に100周年を迎えたカルティエの象徴的ジュエリー |
| 1925年 | パリ万国装飾美術博覧会(アールデコ博)開催 カルティエがアールデコスタイルの代表的ブランドとして世界的注目 | 幾何学的でモダンなデザインが時代の象徴に。カルティエの美学が確立された時代 |
| 1933年 | インドのマハラジャからの特注品など異国情緒あふれるコレクション製作 | エジプト、インド、中国からインスピレーションを得た独自スタイルの確立 |
| 1939年 | 世界15ヵ国の王室御用達に認定 | 名実ともに「宝石商の王」としての地位を不動のものに |
1900年〜1930年代は、カルティエが世界的名声を確立し、「黄金期」と呼ばれる最も輝かしい時代です。この時期、メゾンはジュエリー・時計の両分野で革新的な作品を次々に発表し、王室や上流階級からの圧倒的な支持を獲得しました。
1904年、カルティエは飛行家アルベルト・サントス=デュモンの依頼を受け、世界初の実用的な男性用腕時計「サントス」を制作します。懐中時計が主流だった時代に、手首で時刻を読み取れるという革新は時計史における画期的な出来事であり、腕時計が一般的に普及する大きなきっかけとなりました。
さらに1917年には、戦車のシルエットから着想を得た「タンク」ウォッチを発表。シンプルで直線的な造形は当時として非常に斬新であり、のちのアールデコデザインの象徴的存在になります。「タンク」は政治家や文化人など多くの著名人に愛用され、カルティエの時計製造が芸術の域に達していることを世界へ証明しました。
ジュエリーにおいても、1903年にプラチナをジュエリー素材として本格採用し、繊細で立体的な造形を可能にしたことで、ベルエポック期を代表するガーランドスタイルを牽引。1920年代に突入すると、カルティエはアールデコムーブメントを代表する存在として幾何学的でモダンなデザインを多数生み出しました。

カルティエの黄金期は、ブランドの創造性と技術革新が最も華開いた時代です。
「サントス」や「タンク」といった今なお愛され続ける名作は、この時代に誕生しています。特に腕時計の普及におけるカルティエの功績は大きく、避けて通れない重要な章です。
またアールデコを象徴するシャープで洗練されたスタイルは、現在のジュエリーデザインにも強い影響を残しています。
カルティエというブランドの価値を理解するうえで、この黄金期を知ることは欠かせません。
【現代】1940年代~現在:革新と伝統の融合
| 年代 | 出来事・重要な転換点 | 歴史的意義 |
|---|---|---|
| 1942年 | 3代目ルイ・カルティエ逝去 | カルティエを世界的ブランドに育て上げた立役者。彼が築いた哲学と美学は現代まで受け継がれる |
| 1969年 | 「ラブブレスレット(LOVE)」誕生(ニューヨーク) デザイナー:アルド・チプロ ビス(ネジ)モチーフと専用スクリュードライバーで装着する革新的デザイン | 「永遠の愛の絆」をコンセプト。1970年代に世界的大ヒット。現在もカルティエの代表的ジュエリーとして愛される |
| 1983年 | 「パンテール ドゥ カルティエ」誕生 豹(パンテール)のしなやかな動きを表現したブレスレット一体型時計 | ジュエリーウォッチの名作。特に女性に高い人気。1914年からの豹モチーフの歴史を継承 |
| 1985年 | 「パシャ」発表 防水性に優れたスポーツウォッチ。ラウンドケース、4つのビス、チェーン付きリューズカバーが特徴 | カジュアルでもエレガントでもない独自スタイルの確立。モダンなスポーツウォッチ |
| 1996年 | 「タンクフランセーズ」発表 ケースとブレスレットが一体化したジュエリーのようなデザイン | タンクシリーズの中で特に人気。日本で最も売れているカルティエの時計の一つ |
| 2004年 | サントス誕生100周年記念 「サントス100」発表 | 伝統を守りながら現代的にアップデート。100年の歴史を祝福 |
| 2007年 | 「バロンブルー」発表 フランス語で「青い風船」を意味。丸みを帯びた優雅なケースと青いカボションが特徴 | 新しいアイコンウォッチの誕生。30代~40代女性に特に人気 |
| 2024年 | トリニティ誕生100周年記念コレクション発表 世界3都市(パリ・ニューヨーク・東京)でセレブリティ招待イベント開催 | 100年の歴史を持つアイコンジュエリーの祝福。カルティエの伝統と革新の象徴 |
| 2025年 | 年2回(5月・9月)の価格改定を実施 平均5~8%の値上げ | 原材料価格高騰・円安の影響。同時にブランド価値上昇の証。中古市場でも高値取引され、資産価値の高いブランドとして認識 |
1940年代以降のカルティエは、第二次世界大戦という歴史的転換点を経ながらも、伝統的なクラフツマンシップを守りつつ新たな創造性を開花させ、現代へと続くブランドの基盤を築いていきました。戦後は社会の価値観が大きく変化し、ファッションやジュエリーにも多様性が求められるようになります。その中でカルティエは、過度な装飾を排しながらもエレガントさを失わないデザインを追求し、より多くの人々のライフスタイルに寄り添うコレクションを展開しました。
1970年代には、イヴォンヌ・デラストル率いるクリエイティブチームのもとで「トリニティ」や「ラブ」コレクションが登場。シンプルでありながら象徴性の高いデザインは、新時代のラグジュアリーを体現し、カルティエの普遍的な美学を世界に示しました。続く1980〜1990年代には、パンテールコレクションをはじめ、アイコニックなスタイルが次々と誕生し、ファッションシーンでも圧倒的な存在感を放ちます。
1990年代後半にリシュモングループの傘下に入ってからは、グローバル展開が一層加速。時計製造では自社ムーブメントの開発を推進し、2000年代以降には「カリブル ドゥ カルティエ」など本格機械式時計で高い評価を獲得しました。
また、アーカイブを現代的に再解釈する姿勢も際立ち、「タンク」「サントス」「パシャ」など歴史的モデルをアップデートし続けることで、伝統と革新の両立を実現しています。

現代のカルティエは、歴史的アイコンの継承と革新的アプローチの両軸で進化し続けています。
特に注目すべきは、自社ムーブメント開発やアーカイブモデルの再解釈など、伝統の再構築ともいえる姿勢です。
ブランドが長く愛される理由は、過去に依存するのではなく、その精神をモダンな時代に合わせてアップデートしている点にあります。
購入や査定を検討する際も、現行モデルがどの歴史やデザイン哲学を受け継いでいるかを理解することで選択の幅が広がり、価値をより深く感じられるでしょう。
カルティエの歴史における主要コレクション解説
カルティエの長い歴史を語るうえで欠かせないのが、メゾンを象徴する主要コレクションの存在です。
各コレクションは、誕生した時代の文化的背景や技術革新、そしてカルティエが掲げる美学を色濃く反映しています。サントスやタンクといった腕時計から、トリニティやラブなどのジュエリーコレクションに至るまで、名作と呼ばれるアイテムはすべて明確な思想とストーリーのもとに生まれました。
続いては、カルティエの歴史を形成した代表的なコレクションを取り上げ、それぞれがどのように誕生し、どのような進化を遂げてきたのかを時代背景とともに解説します。
主要コレクションの歴史
ここでは、サントス、タンク、トリニティ、ラブ、パンテールなど、カルティエを代表するモデルがどのような背景で生まれ、どのようにブランドのアイデンティティを形成していったのか、その歴史的意義を紐解いていきます。
| 画像 | コレクション名 | 誕生年 | カテゴリー | デザインコンセプト | 歴史的意義 |
|---|---|---|---|---|---|
![]() | ソリテール1895 | 1895年 | ジュエリー(婚約指輪) | 4本爪でダイヤモンドをセッティング | 現代の婚約指輪の原型。130年経った現在も定番 |
![]() | サントス | 1904年 | 時計 | 世界初の実用的男性用腕時計。スクエアケース、8つのビス | 腕時計文化の始まり。飛行家サントス=デュモンのために製作 |
![]() | タンク | 1917年 | 時計 | 戦車(タンク)にインスパイア。レクタンギュラーケース | 100年以上愛される名作。アールデコスタイルの代表作 |
![]() | トリニティ | 1924年 | ジュエリー(リング) | 3色のゴールドリングが絡み合う。友情・愛・友愛を象徴 | 2024年に100周年。カルティエの象徴的ジュエリー |
![]() | ラブブレスレット | 1969年 | ジュエリー(ブレスレット) | ビスモチーフ。専用スクリュードライバーで装着。永遠の愛の絆 | 1970年代に世界的大ヒット。現在も代表的ジュエリー |
![]() | パンテール | 1983年 | 時計 | 豹のしなやかな動きを表現。ブレスレット一体型 | ジュエリーウォッチの名作。1914年からの豹モチーフを継承 |
![]() | パシャ | 1985年 | 時計 | 防水スポーツウォッチ。ラウンドケース、4つのビス | モダンなスポーツウォッチの確立 |
![]() | タンクフランセーズ | 1996年 | 時計 | ケースとブレスレット一体型。ジュエリーのようなデザイン | 日本で最も人気のカルティエ時計の一つ |
![]() | バロンブルー | 2007年 | 時計 | 丸みを帯びた優雅なケース。青いカボション。「青い風船」 | 30代~40代女性に人気の新しいアイコンウォッチ |
カルティエの主要コレクションは、『人気アイテム』ということではなく、ブランドの発展を象徴する歴史的マイルストーンともいえる存在です。各コレクションは誕生の瞬間ごとにカルティエの革新性を示し、ジュエリー・時計業界全体に大きな影響を与えてきました。

カルティエのタンクやサントス、トリニティなどの主要コレクションは、美しいだけの装飾品ということではなく、それぞれの誕生に歴史的必然性があります。
サントスは航空黎明期の技術革新を、タンクはアールデコの象徴的デザインを、トリニティは20世紀初頭の芸術思想を反映しています。
こうした背景を知ることで、同じアイテムでも見え方が大きく変わり、その価値をより深く理解できるでしょう。
コレクションごとに受け継がれている哲学を読み解くことは、購入を検討する方にとっても、資産価値を見極めたい方にとっても、大きな指針となります。
カルティエ時計「サントス」の歴史|世界初の実用的腕時計誕生秘話

カルティエの時計の歴史を語る上で最も重要なのが「サントス」です。
1904年、3代目当主ルイ・カルティエの友人であったブラジル人飛行家アルベルト・サントス=デュモンは、飛行中に懐中時計を取り出して時間を確認することの困難さに悩んでいました。
操縦桿を握りながらポケットから懐中時計を取り出すのは危険であり、実用的ではなかったのです。
この問題を解決するため、ルイ・カルティエは腕に装着できる時計を考案しました。
1904年に完成したこの時計は、ケースとラグ(ベルトを取り付ける部分)を一体化させた革新的なデザインで、「世界初の実用的な男性用腕時計」として歴史に名を刻みます。
サントス=デュモンはこの時計を愛用し、飛行の成功に大きく貢献しました。
1911年に一般販売が開始されると、スクエアケースに8つのビスが特徴的なデザインが人気を博し、腕時計文化の幕開けとなりました。
現在も「サントス ドゥ カルティエ」として進化を続け、メンズ・レディースともに高い人気を誇る定番コレクションです。
カルティエ時計タンクの歴史|戦車からインスピレーションを得た名作

「タンク」は1917年に誕生し、1919年に一般発売されたカルティエを代表する腕時計コレクションです。
第一次世界大戦中、3代目ルイ・カルティエは新聞で見た連合軍の戦車(タンク)の形状に強いインスピレーションを受けました。
戦車を上から見た時の構図—中央の操縦席と両脇のキャタピラー—をそのまま時計のデザインに落とし込んだのです。
レクタンギュラー(長方形)ケースの両サイドに伸びる2本の縦枠がキャタピラーを、中央の文字盤が操縦席を表現しています。
このシンプルかつ幾何学的なデザインは、当時としては非常に革新的でした。
タンクは発売以来、世界中の著名人に愛用されてきました。
詩人ジャン・コクトー、俳優ゲイリー・クーパー、アンディ・ウォーホル、そして現代では米倉涼子さんや石田ゆり子さんなど多くの日本の芸能人も愛用しています。
100年以上の歴史の中で「タンクフランセーズ」(1996年)、「タンク アメリカン」(1989年)、「タンク アングレーズ」(2012年)など多数のバリエーションが生まれ、それぞれ独自の魅力を持ちながらもタンクの本質—クラシカルなエレガンス—を受け継いでいます。
カルティエジュエリー「トリニティ」の歴史|100年愛される3色のゴールドリング

1924年に誕生した「トリニティ」は、カルティエを代表するジュエリーコレクションとして2024年に100周年を迎えました。
イエローゴールド(友情)、ホワイトゴールド(友愛)、ピンクゴールド(愛情)の3色のリングが絡み合うシンプルかつ象徴的なデザインは、3代目ルイ・カルティエによって考案されました。
3つのリングが互いを支え合い、決して離れることのない構造は、人と人との絆の大切さを表現しています。
詩人ジャン・コクトーが最初に着用したことで芸術家の間で人気となり、その後グレース・ケリー、ココ・シャネル、アラン・ドロンなど多くの著名人に愛用されてきました。
1924年の誕生から30年後の価格は約5万円でしたが、2025年現在では30万円を超えており、その価値の上昇がブランド力を物語っています。
トリニティはリングだけでなく、ブレスレット、ネックレス、ピアスなど多様なアイテムに展開され、世代を超えて愛され続けるカルティエのアイコンです。
また、トリニティリングは『サカイ(Sacai)』とのコラボレーションも行っております。「カルティエ「トリニティ」×サカイ阿部千登勢の限定コラボコレクションが誕生!期間限定のポップアップストアもオープン」にてご紹介いたしておりますので、ぜひこちらもご覧ください!
トリニティリングについては下記のコラムでもご紹介いたしておりますので、合わせてご覧くださいませ!
カルティエジュエリー「ラブブレスレット」の歴史|永遠の愛を誓うジュエリー

「ラブブレスレット(LOVE)」は1969年にニューヨークで誕生した、カルティエの最も象徴的なジュエリーの一つです。
デザインを手がけたのはイタリア系アメリカ人のアルド・チプロで、彼は「永遠の愛の絆」をテーマにこのブレスレットを生み出しました。
最大の特徴は、ビス(ネジ)モチーフのデザインと、専用のスクリュードライバーでしか着脱できない仕組みです。
愛する人に装着してもらい、簡単には外せないようにすることで、永遠の絆を象徴します。
1970年代には世界的なセレブリティの間で大流行し、エリザベス・テイラーとリチャード・バートン夫妻が着用したことでも有名になりました。
現在では着脱が容易なオープンタイプも登場し、普段使いにも最適なデザインとなっています。
価格帯は40万円~90万円以上で、ペアで購入する方も多く、婚約や記念日のギフトとして高い人気があります。
カルティエの歴史的デザインスタイル
カルティエの魅力を語るうえで欠かせないのが、時代とともに進化してきた独自のデザインスタイルです。創業期から現代に至るまで、カルティエは常に革新と芸術性を追求し、ジュエリーと時計の美学に新たな基準を打ち立ててきました。
続いてはベルエポック期・アールデコ期、さらに現代のデザイン哲学について解説していきます。
ベルエポック期(1890~1914年)のガーランドスタイル

ベルエポック(美しき時代)期は、19世紀末から第一次世界大戦までのヨーロッパの繁栄期を指します。
この時代、カルティエは「ガーランドスタイル(花綱様式)」と呼ばれる優美なデザインを確立しました。
最大の革新は、1903年に世界で初めてプラチナをジュエリーに使用したことです。
それまでゴールドが主流だったジュエリー業界において、プラチナはより繊細で軽やかな表現を可能にしました。
プラチナの強度と加工性を活かし、花綱やリボン、レースのような繊細なモチーフをダイヤモンドとともに表現。まるで宝石が空中に浮かんでいるかのような軽やかさが特徴です。
この時代のジュエリーは、ヨーロッパの王侯貴族に愛され、カルティエの名声を確固たるものにしました。
ガーランドスタイルは、技術革新と芸術性の完璧な融合であり、現代のカルティエのジュエリーにもその精神が受け継がれています。

ベルエポック期に花開いたガーランドスタイルは、カルティエの芸術性が世界的に認められるきっかけとなった重要なデザインです。
とりわけ、1903年にプラチナをジュエリー制作に本格採用したことにより、極めて繊細で軽やかな表現が可能になりました。
レースのような透かし細工や優雅な曲線美は、まさに当時のヨーロッパ上流社会が求めた『優雅さの象徴』そのものであり、カルティエが王室御用達へと成長する原動力にもなりました。
ガーランドスタイルを理解すると、現代のカルティエ作品にも受け継がれる「洗練」「軽やかさ」「精密性」といった美学のルーツが見えてきます。
クラシックなジュエリーに興味がある方はもちろん、歴史的背景を踏まえて選びたい方にとっても、この時代のデザインは非常に価値のある知識となるでしょう。
アールデコ期(1920~1930年代)の幾何学的デザイン

1920年代から1930年代にかけて、ヨーロッパでは「アールデコ(Art Deco)」と呼ばれる装飾芸術運動が花開きました。
カルティエはこの運動の中心的存在として、幾何学的でモダンなデザインを次々と生み出しました。
1925年のパリ万国装飾美術博覧会(通称アールデコ博)では、カルティエのジュエリーが大きな注目を集めます。
アールデコ期のカルティエの特徴は、直線・円・三角形などの幾何学的フォルム、コントラストの強い配色(黒と白、赤と緑など)、そしてエジプト・インド・中国など異国文化からのインスピレーションです。
1917年誕生の「タンク」、1924年誕生の「トリニティ」は、まさにアールデコの精神を体現したデザインです。
また、この時代にはバゲットカット(細長い長方形のダイヤモンドカット)を開発し、幾何学的デザインに最適なカッティング技術を確立しました。
アールデコ期はカルティエのデザインが最も革新的で大胆だった時代であり、現代のカルティエのアイデンティティの基盤となっています。

アールデコ期のカルティエが生み出した幾何学的デザインは、ジュエリー史の中でも特に革新的なスタイルとして位置づけられています。
直線や対称性、シャープなフォルムを用いたデザインは、それまで主流だったベルエポック期の優美で曲線的なスタイルとは大きく異なり、当時の社会が求め始めた「モダン」「合理性」「機能美」といった新しい価値観を反映していました。
特にカルティエは、オニキス・ラピスラズリ・コーラルなどの色石を巧みに組み合わせ、強いコントラストを生み出すことでアールデコの象徴的な美を完成させました。これらは単なるトレンドではなく、のちの腕時計「タンク」や数々のジュエリーコレクションの基礎となる『カルティエのモダン美学』を形づくっています。
アールデコ期のデザインを理解することで、現代のカルティエ作品に見られる直線美やミニマルな構成がどこから来ているのかが明確になります。歴史的背景を知ることで鑑賞の視点が深まり、購入や査定においてもデザイン価値の判断に非常に役立つ重要な知識といえるでしょう。
現代カルティエのデザイン哲学

現代のカルティエは、175年以上の歴史の中で培われた伝統と、常に時代を先取りする革新性を融合させたデザイン哲学を持っています。
カルティエのデザインの核心は「フォルム(形)」です。カルティエは常に、丸・四角・楕円などの基本的な幾何学形状を基にデザインを展開してきました。
この「フォルムの美学」は、サントスの正方形、タンクの長方形、ラブブレスレットの円形など、すべてのアイコニックなコレクションに共通しています。
また、カルティエは「Less is more(少ないほど豊か)」という哲学を持ち、装飾を最小限に抑えながら最大限の美しさを表現します。余計な装飾を排除することで、素材そのものの美しさと、デザインの本質が際立つのです。
さらに、カルティエは機能性と美しさの完璧な融合を追求してきました。世界初の実用的腕時計「サントス」がその象徴です。
現代のカルティエは、伝統的なコレクションを守りながらも、新しい素材(セラミックなど)や技術(自社製ムーブメント開発)を積極的に取り入れ、進化し続けています。
変わらないもの(デザインの哲学)と変わるもの(技術と素材)の絶妙なバランスこそが、現代カルティエの魅力なのです。

現代カルティエのデザイン哲学は、アイコニックなフォルムを守りながら、時代性に応じた『知的なアップデート』を施す点に特徴があります。
タンク、サントス、パンテールといった歴史的モデルは、誕生当時から根幹のシルエットがほとんど変わらないにもかかわらず、新作に触れると常に「今の空気」を確実に捉えていることに気づきます。
これは、カルティエが造形の純度と線の美しさに徹底してこだわり、余計な装飾を排しつつ素材やプロポーションを再構築しているためです。
また、現代のカルティエはジェンダーレスな価値観を積極的に取り込み、ユニセックスで楽しめるデザインを増やしている点も注目すべきポイントです。
クラシックなエレガンスを維持しながら、ユーザーの多様性に寄り添う姿勢が、グローバルブランドとしての存在感をさらに強めています。
こうしたデザイン哲学の根底には、「変えすぎず、変わり続ける」というカルティエ独自の美意識があります。伝統と革新のバランスを熟知しているからこそ、現代においても普遍的な魅力を放ち続けているのです。
カルティエの歴史における重要人物
カルティエの栄光の歴史は、創業者ルイ=フランソワ・カルティエをはじめ、革新と美意識を体現した数々の人物によって築かれてきました。
パリの小さな工房から出発したブランドが、世界の王侯貴族やセレブリティに愛されるメゾンへと成長できた背景には、その時代ごとに卓越した才能を持つキーパーソンの存在があります。特に「カルティエ三兄弟」と称されるルイ、ピエール、ジャックは、デザイン革新・国際展開・ブランド哲学の確立に大きな功績を残しました。
さらに20世紀中盤以降は、クラシックな美を現代へと接続する数多くのクリエイターやディレクターたちが加わり、カルティエのアイデンティティを強固なものにしています。
続いては、ブランドの成長に決定的な影響を与えた人物たちを時代別に取り上げ、その役割と功績を深く掘り下げていきます。
創業者ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904)

ルイ=フランソワ・カルティエは1819年にフランスで生まれ、宝石細工師として修行を積みました。
1847年、28歳の時に師匠アドルフ・ピカールからパリ・モントルゲイユ街の工房を譲り受け、カルティエを創業します。
当初は小さな工房でしたが、彼の卓越した技術力と美的センス、そして顧客一人ひとりに寄り添う姿勢により、徐々に評判を高めていきました。
1856年にはナポレオン3世の皇族がカルティエのジュエリーを購入し、パリの上流社会にその名が知られるようになります。
1874年には息子アルフレッドを事業に参加させ、父子で共同経営を開始。
ルイ=フランソワは1904年に85歳で逝去しましたが、彼が築いた「最高品質の素材と職人技術へのこだわり」というカルティエの哲学は、現在まで受け継がれています。
創業者としての功績だけでなく、ブランドの基盤を確立した偉大な宝石商として歴史に名を刻んでいます。

ルイ=フランソワ・カルティエは、カルティエというブランドの基礎を築いた創業者として、ジュエリー界における先駆者の一人です。
小さなパリの工房からスタートし、卓越した職人技術と独自の美意識を追求することで、後の「王の宝石商、宝石商の王」と称される礎を作りました。
特に、貴族や上流階級の好みに合わせたデザインと、革新的な素材や技法の導入は、後世のカルティエ作品の方向性に強い影響を与えています。
創業者の理念を理解することは、現代のカルティエ作品に込められた美学や哲学を読み解く上で非常に重要です。
ルイ=フランソワの「精緻さと優雅さの融合」という信念は、今日のジュエリーや時計にも脈々と受け継がれており、ブランド価値を見極める上でも欠かせない視点となります。
3代目ルイ・カルティエ(1875-1942)|カルティエを世界的ブランドへ

創業者の孫であるルイ・カルティエ(1875-1942)は、カルティエを世界的な高級ブランドへと成長させた最重要人物です。
1899年に家業に参加した彼は、革新的なデザインと国際展開により、カルティエを「宝石商の王」へと押し上げました。
彼の最大の功績は、ジュエリーと時計の両分野において歴史的な革新を成し遂げたことです。1904年には友人の飛行家サントス=デュモンのために世界初の実用的腕時計「サントス」を製作し、同年イギリス王室御用達に認定されました。
1917年には「タンク」、1924年には「トリニティ」を生み出すなど、現在もカルティエの顔となっているコレクションはすべて彼の時代に誕生しています。
また、プラチナをジュエリーに初めて使用したり、アールデコスタイルを積極的に取り入れたりと、常に時代を先取りする姿勢を貫きました。
芸術家のジャン・コクトーやダイアギレフとも親交があり、芸術と商業を融合させる独自の美学を確立。
彼の先見性と創造力がなければ、今日のカルティエは存在しなかったと言っても過言ではありません。

3代目ルイ・カルティエは、カルティエを単なるパリの宝飾店から世界的ブランドへと押し上げた立役者です。
彼はデザインとビジネス戦略の両面で革新をもたらし、特に腕時計の普及や国際的な王室・貴族顧客とのネットワーク構築に大きく貢献しました。
1904年の「サントス」腕時計の誕生や、ヴァンドーム広場の本店拡張など、彼の功績はカルティエの国際的地位確立の礎となっています。
ルイ・カルティエの時代に確立された「伝統と革新の融合」という哲学は、現代のカルティエデザインの基盤でもあります。
ブランドの歴史やコレクションを理解する上で、彼のリーダーシップとビジョンを知ることは非常に重要です。
ジャンヌ・トゥーサンとパンテールの物語

ジャンヌ・トゥーサン(1887-1978)は、カルティエの歴史において非常に重要な女性デザイナーです。
1933年にカルティエ初の女性クリエイティブディレクターに就任し、「ラ・パンテール(豹)」という愛称で呼ばれました。
彼女の功績は、カルティエの象徴となる「パンテール(豹)」モチーフを確立したことです。1914年に初めて豹模様のジュエリーが製作されましたが、それをカルティエのアイコンとして育て上げたのは彼女でした。
豹は気品と力強さ、優雅さと野性味を兼ね備えた動物であり、まさに自立した現代女性の象徴です。イギリスのウィンザー公爵夫人(元国王エドワード8世の妻)は、ジャンヌ・トゥーサンがデザインした豹のジュエリーの熱心なコレクターでした。
1948年に製作された立体的な豹のブローチは、特に有名な作品です。
彼女のデザインは大胆かつエレガントで、女性の社会進出が進む20世紀半ばにおいて、新しい女性像を提示しました。
ジャンヌ・トゥーサンがいなければ、今日のカルティエの「パンテール」コレクションは存在しなかったでしょう。

ジャンヌ・トゥーサンは、カルティエのクリエイティブ史における『革新の象徴』ともいうべき存在です。
彼女がパンテール(豹)モチーフをブランドの中核デザインへと押し上げた背景には、動物の持つエネルギーや優雅さをジュエリーに込める独自の美学がありました。
とくに、彼女が主導した立体的なパンテール作品は、当時の宝飾界では前例の少なかった「生きた動物の動きを表現するハイジュエリー」として高く評価されています。
また、トゥーサンは宝石選びにも妥協がなく、オニキス・ダイヤモンド・カラーストーンを組み合わせ、豹の質感や毛並みをリアルに再現する技法を確立しました。これはカルティエの職人技を大きく進化させることにもつながっています。
彼女自身が『ラ・パンテール』と呼ばれたように、ジャンヌ・トゥーサンの美意識とライフスタイルは、カルティエの女性像を力強く、洗練された存在へと再定義しました。
現代のパンテールコレクションが持つ象徴性や人気の高さは、まさに彼女の功績の延長線上にあります。
よくある質問(FAQ)
Qカルティエの歴史は何年ですか?
カルティエは1847年にフランス・パリで創業され、2025年現在で178年の歴史を持つ世界最古参の高級ジュエリー・時計ブランドの一つです。創業者ルイ=フランソワ・カルティエが師匠から譲り受けた小さなジュエリー工房から始まり、現在では世界5大ジュエラーとして確固たる地位を築いています。175年以上の長い歴史の中で、世界初のプラチナジュエリー(1903年)、世界初の実用的腕時計「サントス」(1904年)、名作「タンク」(1917年)、「トリニティ」(1924年)など、数々の革新的なコレクションを生み出してきました。創業から約60年後の1904年にはイギリス国王エドワード7世から「王の宝石商、宝石商の王」という最高の称号を受け、1939年までに世界15ヵ国以上の王室御用達に認定されています。現在はスイスのリシュモングループに属していますが、本社はフランス・パリに置かれ、創業時からの伝統と革新の精神を守り続けています。
Qカルティエの時計の歴史はいつから始まったのですか?
カルティエの時計製作の歴史は、創業からわずか6年後の1853年に遡ります。この年の台帳にはすでにメンズ懐中時計の記録が残されており、カルティエは創業当初からジュエリーと時計の両方を手がけていました。しかし、カルティエの時計史において最も重要な転換点は1904年です。この年、3代目ルイ・カルティエが友人のブラジル人飛行家アルベルト・サントス=デュモンの依頼により、世界初の実用的な男性用腕時計「サントス」を製作しました。飛行中に懐中時計を取り出すことが困難だという問題を解決するため、腕に装着できる時計をデザインしたのです。1911年に一般販売が開始されると、これが腕時計文化の始まりとなりました。その後、1917年には戦車からインスパイアされた「タンク」、1983年には「パンテール」、2007年には「バロンブルー」など、時代を代表する名作を次々と生み出し、現在では時計メーカーとしてもトップクラスの地位を確立しています。
Qカルティエのサントスは本当に世界初の腕時計ですか?
カルティエの「サントス」は「世界初の実用的な男性用腕時計」として歴史に認識されています。厳密に言えば、サントス以前にも腕に巻く時計は存在しましたが、それらは女性用のブレスレットウォッチや装飾的なものがほとんどで、実用性には欠けていました。
1904年にルイ・カルティエが製作した「サントス」は、ケースとラグ(ベルトを取り付ける部分)を一体化させた革新的なデザインで、男性が日常的に使用できる堅牢性と視認性を備えていました。
飛行家サントス=デュモンが実際の飛行中に使用し、その有用性が証明されたことで、「実用的な腕時計」として完成されたのです。
1911年に一般販売が開始されると瞬く間に人気となり、懐中時計から腕時計への移行が加速しました。このことから、サントスは「腕時計文化の始まり」「実用的腕時計の原型」として時計史上極めて重要な位置を占めています。
諸説ありますが、多くの時計専門家がカルティエのサントスを「世界初の本格的腕時計」と認めています。
Qカルティエのタンクはいつ誕生したのですか?
カルティエの名作「タンク」は1917年に誕生し、1919年に一般発売されました。第一次世界大戦中、3代目当主ルイ・カルティエは新聞で見た連合軍の戦車(タンク)の形状に強いインスピレーションを受けました。戦車を上から見た構図—中央の操縦席と両脇のキャタピラー—をそのまま時計のデザインに落とし込み、レクタンギュラー(長方形)ケースの両サイドに伸びる2本の縦枠がキャタピラーを表現しています。
このシンプルかつ幾何学的なデザインは当時としては非常に革新的で、発売と同時に大きな話題となりました。
1919年の一般発売後、詩人ジャン・コクトー、俳優ゲイリー・クーパー、芸術家アンディ・ウォーホルなど、多くの著名人が愛用し、タンクは「知的でエレガントな時計」の代名詞となりました。100年以上経った2025年現在も、タンクはカルティエの代表的時計として進化を続けており、「タンクフランセーズ」(1996年)、「タンク アメリカン」(1989年)など多数のバリエーションが生まれています。
Qカルティエの歴史で最も重要な年は何年ですか?
カルティエの歴史において最も重要な年は1904年です。この年に2つの歴史的な出来事が起こりました。
①イギリス国王エドワード7世から王室御用達に認定され、「王の宝石商、宝石商の王」という最高の称号を受けました。これによりカルティエは世界的な名声を確立し、その後15ヵ国以上の王室御用達となる基盤を築きました。
②友人のブラジル人飛行家アルベルト・サントス=デュモンの依頼により、世界初の実用的な男性用腕時計「サントス」を製作しました。
この時計は1911年に一般販売が開始されると腕時計文化の始まりとなり、カルティエが時計メーカーとしても最高峰の地位を確立する契機となりました。
1904年はまさに、カルティエがジュエラーから「ジュエラー兼時計メーカー」へと進化し、「王室御用達」という最高の栄誉を得た、ブランド史上最も重要な転換点だったのです。
他にも、1917年(タンク誕生)、1924年(トリニティ誕生)、1969年(ラブブレス誕生)など重要な年がありますが、1904年が最も歴史的な意義を持つ年と言えるでしょう。
まとめ
今回は世界5大ジュエリーブランドであるカルティエ 歴史について解説してきました。
カルティエは、1847年の創業から170年以上にわたり、ジュエリーと時計の歴史を牽引してきた世界的メゾンです。
プラチナジュエリーの実用化や世界初の男性用腕時計「サントス」の誕生、アールデコのデザインを牽引した創造性など、カルティエの歩みは常に革新と美の追求によって形づくられてきました。
また、ルイ=フランソワからルイ・カルティエ、ジャンヌ・トゥーサンに至るまで、各時代を代表する人物の存在がブランドの発展を支え、現在のカルティエの確固たる地位につながっています。
カルティエの歴史を知ることは、アイテム購入やブランドの理解を深めるだけでなく、ジュエリー・時計産業全体の発展を読み解くことにも繋がります。デザイン性以外でも、カルティエの歴史や伝統を含めアイテムの購入を検討してみてください!
最後にカルティエの売却を検討されている方へのご案内です。当店ブランド買取LIFEでは、カルティエの高価買取を行っております!今回ご紹介したタンクやサントス、トリニティなどの定番モデルはもちろん、時計や結婚指輪、婚約指輪などのジュエリー、バッグや財布などのレザーアイテムもご依頼大歓迎です。
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