世界のファッションシーンに「花」を咲かせた日本人デザイナーが高田賢三(たかだけんぞう)です。
彼が手がけたブランド「KENZO」は、大胆な色使いと、自由な感性で描くパターンやシルエットで、多くの人の心を惹きつけてきました。
こちらの記事では、そんな高田賢三の人生に焦点を当て、デザイナーとしての歩みや、KENZO創設に込められた想いについてたどっていきます。
高田賢三とは?ファッション界に革命を起こした日本人デザイナー

高田賢三(たかだけんぞう)は、世界的ブランド「KENZO」を立ち上げた、日本のファッションデザイナーです。
1970年代のパリで、色とりどりの布を組み合わせ、花や民族モチーフを大胆に取り入れたデザインを発表し、それまでのモード界に新しい風を吹き込みました。
彼の作る服は、まるで世界中の文化をひとつにまとめたアートのように自由でのびやかで、どこか温かみのあるスタイルで、
その服を見た多くの人々に「ファッションってこんなに楽しいものなんだ」という気持ちを感じさせてくれました。

高田賢三さんの魅力は、何より“自由さ”と“優しさ”が共存しているところだと思います。
パリという憧れの舞台で、自分のルーツや感性を大切にしながら新しい表現を続けた姿勢は、まさに時代を超えるもの。
見る人の心をパッと明るくするようなデザインは、彼の人柄そのものを映しているように感じます。
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高田賢三の生涯とキャリアの軌跡
日本の地方都市で生まれた高田賢三が、異国・パリの地で自身の名前をブランドとして輝かせるまでどのような人生を送ってきたのか?
ここからは、純粋に「服が好き」という気持ちを信じ続けた、高田賢三ならではの物語についてご紹介いたします。
ファッションへの憧れ – 文化服装学院時代

兵庫県姫路市で生まれた高田賢三は、幼い頃から絵を描くことが好きで、当初は画家を目指していました。
しかし、姉が持っていたファッション雑誌を何気なく手に取ったことが、彼の人生を大きく変えるきっかけとなりました。
そこに映る色とりどりの服やモデルたちの姿に強く惹かれ、「自分もこんな世界をつくってみたい」と思うようになったのです。
そして当時、男子学生の入学がほとんどなかった文化服装学院に、彼は勇気を出して挑戦し、見事合格しました。
そこでは、後に世界的デザイナーとなるコシノジュンコなど多くの才能と出会い、刺激を受けながら自らのセンスを磨いていきました。
この時期に培われた「自由な発想」と「服づくりの楽しさ」は、その後の彼のデザイン哲学の礎となり、
のちに世界のファッション界を変える“KENZOスタイル”へとつながっていきました。
夢を追いかけて単身パリへ

文化服装学院を卒業したあとも、高田賢三の心の中には「いつか世界の舞台で自分の服を発表したい」という夢がずっとありました。
そんな中、1964年の東京オリンピックを機に、住んでいたアパートの取り壊しをすることが決まり、高田賢三は”憧れのパリ”へ行くという大きな決断をしたのです。
当時はまだ海外へ行くことが簡単ではなかった時代だったため彼は飛行機ではなく、船に乗りフランスへ向かったそうです。
しかし、言葉も文化も違うパリでの暮らしは、決して楽なものではありませんでした。
慣れない生活の中で、時には孤独や不安に押しつぶされそうになることもあったそうです。
それでも彼は、自分のスケッチブックを片手に、少しずつデザインの仕事を売り込みながら前へ進みました。
やがてその努力が身を結びパリの街で、彼のカラフルで自由なデザインは次第にフランスのファッション関係者の目に止まるようになり、
「ファッションをもっと自由に、もっと楽しく」という彼の想いが、少しずつパリの人々の心を動かしていきました。
1970年「ジャングル・ジャップ」開店と衝撃のデビュー

そして高田賢三は、ついにパリのギャラリー・ヴィヴィエンヌに自身初のブティック「ジャングル・ジャップ」をオープンしました。
ジャングルという名前には、さまざまな文化や色が混ざり合う“生命力あふれる世界”という想いが込められていました。
店内に並んだのは、木綿の生地を使い、着物のように直線的な裁断で仕立てられた色鮮やかな洋服たちでした。
この伝統的な西洋のファッションとはまったく異なる、自由で軽やかなデザインは、当時のモード界に大きな衝撃を与えました。
「重厚で格式のある服が正しい」とされていた時代に、彼の服はまるで“風のように心地よく着られる”新しいスタイルを示したのです。
その独創的なコレクションは瞬く間に話題となり、パリの若者たちを夢中にさせました。

この時代のパリで、木綿の生地を使うというのは本当に大胆なことでした。
着る人が楽しく、自分らしくいられる服をつくった高田賢三さんの発想は、本当に時代の先を行っていたと思います。
彼のデザインには、純粋な「服を愛する気持ち」があふれていました。
だからこそ、国や文化を越えて、今も多くの人の心に残り続けているのだと思います。
世界を魅了した高田賢三のデザインとファッション
ここからは、なぜ高田賢三のデザインがここまで世界を魅了させたのか?について
高田賢三のデザインの特徴や、代表的な作品とコレクションについて交えながら深掘りしていきます!
高田賢三のデザインの特徴とは?

高田賢三のデザインの魅力は、何よりもその色彩感覚の豊かさにあります。
「色彩の魔術師」とも呼ばれる彼は、赤やオレンジ、グリーンなどを生き生きと組み合わせ、服そのものに生命力を宿しました。
さらに、日本の着物を思わせる直線的なラインや、アジアやアフリカの民族衣装から着想を得たフォークロア・ルック、そして自然を愛する彼ならではの花柄やアニマル柄も、KENZOらしさの象徴です。
このような異なる文化や柄を自由に混ぜ合わせても、どこか調和が取れていて、不思議と心地よく感じられるのが高田賢三のデザインの特徴です。
まさに、世界中の人々を笑顔にするファッションの魔法のような存在ですね。

高田賢三さんの服には、着る人をワクワクさせる力があります。
どれも華やかで元気が出るデザインなのに、どこか優しくて温かいのは、彼がいつも「服を楽しむ心」を大切にしていたからだと思います。
代表的な作品とコレクション
高田賢三(たかだけんぞう)の作品には、見ているだけで心が弾むような、明るさと温かさがあります。
代表作として知られるのは、和の要素を取り入れた着物スリーブのトップスや、異素材を重ねて楽しむレイヤードスタイル、そして動くたびに軽やかに揺れるゆったりとしたワンピースなどです。
そんな彼の作り出す作品には、どのアイテムにも高田賢三らしい自由な感性と「おしゃれを楽しむ心」が感じられます。
また、彼のコレクションは服だけでなく、ショー全体が一つの世界のように感じさせる魅力があり、訪れた人々を惹きつけました。
サーカスのテントや宮殿など、ユニークな場所で行われたショーは、まるで夢の中の物語を見ているようでした。
そう考えると高田賢三のファッションは、ただ身にまとうものではなく、「人生を楽しむ気持ち」を表現するアートのような存在だったのかもしれませんね。
KENZOからの引退、そして晩年の活動
長年にわたりファッション界の第一線で活躍してきた高田賢三ですが、1999年のコレクションを最後にデザイナーとしての活動に一区切りをつけました。
ここからは、KENZO(ケンゾー)から引退した後もライフスタイルブランド「K3」を立ち上げるなど意欲的に活動してきた高田賢三の晩年の活動について詳しくご紹介いたします。
絶頂期でのブランド売却とデザイナー引退

高田賢三は1993年に、自身のブランド「KENZO」をLVMHグループに売却しました。
当時のKENZOは、世界中で注目を集める人気ブランドに成長しており、そのタイミングでの決断は多くの人を驚かせました。
そして1999年、彼は最後のコレクションを発表し、デザイナーとしての活動に一区切りをつけました。
大切なパートナーの死や、ビジネスの規模が大きくなるにつれ感じた変化が、「これからの人生をどう生きるか」を考えるきっかけになったのかもしれません。
そして引退後の彼は、名声や成功にとらわれることなく、より自由に、自分らしい時間を楽しんでいたようです。

華やかな世界から一歩離れても、高田賢三さんの中にはずっと創作への愛と楽しむ心がありました。
その穏やかで自由な生き方こそが、今のKENZOや後に続くデザイナーたちにとっての大きなインスピレーションになっているのでしょう。
ライフスタイルブランド「K3」の始動

KENZOのデザイナーを引退した後、2020年に立ち上げたのが、ライフスタイルブランド「K3(ケイスリー)」です。
「K3」は、日常の中にある小さな幸せや心地よさを大切にしたブランドで、そこには、どんなときも人生を楽しむことを忘れない高田賢三らしい前向きなエネルギーがあふれています。
家具や食器、テキスタイルなど、日々の暮らしを彩るアイテムを通して、彼らしい色彩感覚と温かみのある世界観が表現されています。
2020年、突然の訃報と世界からの追悼

これまで元気に創作活動を続けていた高田賢三でしたが、2020年10月4日に新型コロナウイルス感染症のため、パリ郊外の病院で81歳の生涯を静かに閉じたのです。
この突然の訃報は、瞬く間に世界を駆け巡り、多くの人々に深い悲しみを与えました。
そしてファッション界の仲間たちや各国の著名人からは、彼の明るい笑顔や温かい人柄、そして色彩豊かな作品を称えるメッセージが数多く寄せられました。
このメッセージだけでも彼がどれほど多くの人に愛され、影響を与えてきたかを物語っていますね。
高田賢三が遺したのは、服だけでなく、人生を楽しむことの大切さというメッセージそのものでした。

高田賢三さんの訃報は、本当に突然の出来事でした。
いつも前向きで、周りを明るくする存在だっただけに、多くの人が深い悲しみに包まれました。
それでも、彼が遺した色やデザイン、そして人生を楽しむ心は、今も多くの人の中で生き続けています。
高田賢三の人物像と後世への影響
高田賢三は、その明るさと柔らかな人柄で、誰からも愛される存在でした。
ここからは周囲への感謝を忘れず、どんな時も笑顔を絶やさなかったという彼の人物像についてご紹介いたします。
交友関係 – コシノジュンコやイヴ・サンローランとの逸話

学生時代からの友人であり、同じ文化服装学院で学んだコシノジュンコとは、生涯にわたる絆で結ばれていました。
お互いを刺激し合い、励まし合う関係は、まさに良きライバルであり仲間でした。
2人はどんなに忙しくても、顔を合わせば自然と笑いが絶えなかったといいます。
また、パリではイヴ・サンローランをはじめ、多くの著名デザイナーたちと親交を深めました。
国籍や文化の違いを越えて互いの才能を認め合い、真摯に向き合ってきた彼は、まさに世界をつなぐ架け橋のような存在でした。
ファッション界に残した功績と遺産

高田賢三がファッションの世界に残した大きな功績は、「多様性」という新しい価値観をもたらしたことです。
それまで西洋が中心だったモードの舞台に、日本やアジアの文化の美しさを取り入れ、自由でのびやかな表現を切り開きました。
その鮮やかな色づかいや異国情緒あふれるデザインは、多くの人に新しい感性を与え、ファッションをより身近で楽しいものへと変えていきました。
彼の挑戦は、後に続く日本人デザイナーたちにとって大きな道しるべとなり、今もそのスピリットは世界中のファッションの中で生き続けています。

高田賢三さんの作る服には、着る人を幸せにする力がありましたね。
国や文化の壁を越えて多くの人に愛されたのは、その温かい人柄と、ファッションを通して「楽しさ」を伝えようとする純粋な想いがあったからだと思います。
今でも彼の作品を見ると、不思議と元気がもらえるんです。
高田賢三についてよくある質問(FAQ)
Q高田賢三とは、一言でいうとどんな人ですか?
高田賢三は、世界的なファッションブランド「KENZO」を創設した、日本人で初めてパリのファッション界で大成功を収めたデザイナーです。カラフルな色使いと大胆な花柄で、1970年代のファッションに革命を起こした人物として知られています。
Q高田賢三の死因は何だったのですか?
高田賢三は、2020年10月4日に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の合併症のため、パリの病院で亡くなりました。 81歳でした。彼の訃報は世界中のファッション関係者やファンに大きな衝撃を与えました。
Q高田賢三は結婚していましたか?妻や子供はいますか?
高田賢三は生涯独身で、結婚はしていませんでした。 彼には子供もいません。しかし、公私にわたる長年のパートナーであったグザビエ・ド・カステラ氏の存在が知られており、彼の人生と思索に大きな影響を与えました。
Q高田賢三のデザイナーとしての「すごさ」は何ですか?
彼のすごさは主に3つあります。
①日本人デザイナーの道を切り拓いた:彼の成功が、後に続く山本耀司や川久保玲といった日本人デザイナーが世界へ進出する道を切り拓きました。
②常識破りのデザイン:当時暗い色が主流だったパリで、カラフルで自由なデザインを発表し、新しい価値観を提示しました。
③プレタポルテの先駆者:高級な既製服である「プレタポルテ」を世界に広め、ファッションをより多くの人々が楽しめるものにしました。
Qデザイナー引退後、晩年は何をしていたのですか?
デザイナー引退後も創作意欲は衰えず、画家として活動したり、オペラの衣装デザインを手がけたりしていました。亡くなる直前の2020年には、自身の名前を冠したライフスタイルブランド「K3」を立ち上げ、家具や食器などを発表し、生涯クリエイターとして活動を続けました。
Q晩年のブランド「K3」とは何ですか?
「K3(ケースリー)」は、高田賢三が2020年に立ち上げたラグジュアリーなインテリア・ライフスタイルブランドです。彼が愛した「和」と「洋」の融合をテーマに、家具、ラグ、テキスタイル、食器などを展開。彼の美学が詰まった、キャリアの集大成ともいえるブランドです。
Qコシノジュンコさんとはどのような関係だったのですか?
高田賢三とコシノジュンコさんは、文化服装学院の同級生であり、生涯にわたる親友であり、良きライバルでした。共にファッション界で活躍し、互いの才能を認め合い、刺激し合う関係でした。
まとめ
こちらの記事では、デザイナーの高田賢三とはどんな人物なのか?ついてご紹介させていただきました。
KENZOを創設した天才デザイナー高田賢三は、色彩豊かなデザインと自由な発想で、ファッション界に新しい風を吹き込みました。
こちらを読んでいただいて高田賢三の魅力について少しでも知っていただけたら幸いです。
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